深夜の雑談

30歳、人生の閉塞感の正体とは結局のところアレ。

どうも、インターネット雑談マン@netzatsudanmanです。

30歳越えて、特別になりたい凡人の俺も、人並みに人生の閉塞感というものを感じるようになってきました。「自分の人生はどこまで行けるのだろうか」そんなことを日々考えているわけですが、ふと、これって単純に金を稼ぐ自信がないことを誤魔化しているような気がしてきたので、また自分用にメモっときます。

目次

特別になりたいという嘘

かつてこのブログのプロフィールページにも特別になりたいと書いていました。普通の人生は送りたくない、ドラマティックな特別な人生にしたい。

きっと誰もがそう思ってる。でも誰もがどこかで気づく。

「俺は特別になんてなれやしないんだ」

そして平凡な生活に戻っていく。こういう状況で感じる気持ちを多くの人は「人生の閉塞感」と呼んでいるのだと思います。

でもきっとその域にさえ達していないと、最近思います。

俺はたぶん普通になりたかった。でも普通のことをできるだけの能力がなかった。地元で就職して、結婚して、子供が生まれて、家族のために嫌なことも我慢して、それでも家族がいるから幸せで・・・。

そういうものから目を逸らすために、「俺は特別になりたいんだ」と言っている。世の中の「普通に」暮らしている大人は本当に凄い。嫌味でも皮肉でもなく。社会の一員として真っ当に生きていくということが、こんなに困難な道だとは思っていませんでしたよ。。

閉塞感の正体は結局、金。

人生に閉塞感を感じてしまうのは、自分が特別になれなかったからじゃない。結局、金なんだなって思います。

20歳から10年働いて仕事に慣れたつもりでも、プロフェッショナルになれた気はしない。いつまでたっても、いや、時が経てば経つほど、自分が普通の人生を全うする能力がないことに気づかされる。

会社で働いて毎月決まった給料を貰えるのは、自分にそれだけの能力があるからではなくて、会社の温情だと思う。

2・6・2の法則なんて言葉がありますよね。会社で優れた人材は2割、普通の人材が6割、ダメな人材が2割。

俺は雰囲気で誤魔化しているだけで、きっと下位の2割なんだと思う。

給料なりに働いているという自負は幻想でしかないくて、ほかの優秀な社員が僕の給与分も働いてくれて、人情に厚い社長が雇ってくれて、お客さんが俺如きでもできるような仕事を回してくれる。人に支えられて生きている。

誰かに助けてもらわなかったら、日々生きていくだけの金を稼ぐことさえできない。

その現実から目を逸らすために、特別になりたいなんて嘘をついているし、そんな嘘でいつまでも自分を騙しておけるはずもない。。

それが思い込みだとしても、一度思ってしまったら・・・・

きっと会社の仲間は俺を責めないどころか擁護してくれると思う。

「そんなことはない、君にはこんなスキルがあるじゃないか。君よりできない人はたくさんいる。」

それはそうかもしれない。曲りなりにも10年働いて、ある程度の仕事をこなした実績もあって、今では部下や後輩を教育する仕事さえ任される。

でも、もうダメなんですよ。一度自分でそう思ってしまったら。誰に何を言われようが、自分で自分を認められなかったら何の慰めにもならない。

尾崎豊も言ってる通り、「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」。何に勝ち続けなきゃいけないのかって、自分に勝ち続けなきゃいけないんだ。

無能に気づいた後、どうするか選ぶ時が来た。

会社が守ってくれている世界で、「守られている」ということに気づいた後、どうやって生きていくかを選ばなくてはいけない。

会社が滅びるか、会社に見捨てられるその瞬間まで、自分の無能から目を逸らして生きていくのか、それとも自分で金を稼げるだけのスキルをつけるのか。

全然カッコいい話じゃないんですコレは。どっちが許せないかという話なんです。

気づいてしまったら、もう守られている自分を許すことなんてできない。

いや、まだカッコつけている。そうじゃない。

この閉塞感を、この不安を無くすには、もうやるしかないんだ。俺はこの不安を放置できるほどタフな心臓を持っていない。弱くて無能だからこそ、逃げるためにやらなきゃいけない。

心のブレーキをはずせ。努力する勇気を持とう。

俺だけじゃなくて、きっと多くの人が俺と同じような状況に陥っていると思います。たいした学歴もなく、たいした職歴もなく、心の奥の方にある「これで大丈夫なのか?」という不安を、必死で見て見ぬふりをして生きている。

もう見て見ぬふりを努力している場合じゃないんだ。

「俺はバカだからできない」

「俺みたいなバカが努力しても無駄だ」

「俺みたいなバカが努力しても笑われるだけだ」

何重にも保険をかけて、何重にもブレーキをかけて、自分の心が傷つかないようにしている。

「俺は無能なんかじゃない。みんなと同じように頑張っている。それなりに仕事もできる。だから大丈夫さ。必死になってどうするの。そんなのダサいよ。」

「できないんじゃない、やらないだけだよ。やって何の意味があるの?必死になって恥ずかしいな。俺は特別なんかじゃないんだ。中二病かい?もう大人なんだぜ?自分の限界を受け入れようよ。おれはわかってる。もうわかってるからやらないんだ」

こんな嘘をいつまでつき続けるのか。つき続けられるのか。死ぬまでそう言ってられるなら幸せな人生だと思います。俺はできればそうしたい。でも無理なんだよ。

わかっているふりで、自分はかしこい大人だと思っている間に時間だけが過ぎていく。人生の最後の最後まで、本当に後悔しないで生きていけるのか?「俺がそうしたいから、そうしたんだ」と胸をはって言えるのか?

今、傷つかないために選択した結果は、きっと何十年か後に自分に降りかかる気がします。それが怖すぎる。

そんな目に合うくらいなら、努力して辛いほうがマシじゃないか。

努力しても成功するとは限らない。でも努力しなかったらほぼ確実に後悔する未来が待っている。

まとめ:だってこれからも生きていくんだから

こんなことに気づきたくはなかったです。嘘で自分を騙せるなら、ずっと騙していたかった。何も考えずに、「俺はまともな社会人なんだ」と思っていたかった。でもバレた。

いろんな価値観や考え方があって、極端な話、別に自分で稼がなくたって生きていく方法はあるし、生きている方が幸せかどうかだって、人によっては違うと思う。

でも僕は、生きていくことを選んでしまっているし、自分で稼がずに生きていくことを望んでいない。

そういう自分の考えに気づいてしまったら、もう今まで通りじゃいられない。

人間が急に変わることはないなんてわかっていて、これからも適度に怠けたり、人や環境のせいにすることがあったりするだろうけど、それでももう目は逸らせない。逸らしたくてもそれができない。

だったらもうやるしかないんだ。最低限、「俺はバカなのはわかってたけど、諦めることはしなかったぞ」と思うために。

ハァ~~~、ドラゴンボールでも魔法のランプでもいいから、一発逆転の道具は無いもんですかねぇ。無いわな。

失敗の連続で後悔する結果になったとしても、せめて自分が惨めだと思うことがないようにしたい。そんな30歳の戯言でした。

以上。