どうも、インターネット雑談マン@netzatsudanmanです。
いや、俺も自分がクズだなんて思いたくはないが、30年を越えて自分と付き合っていれば、世界中の誰よりも自分のことが理解できる。
ははは、母さんごめんな。おら、クズだ。
と、いうわけでこんなタイトルの記事をわざわざ読みに来ていただいたのですから、あなたは自分のクズさを改善したい、自分のクズさに苦しんでいる、そういう人なのでしょう。
いやぁ、安心してください。俺もです。
別に何か法に触れることをしてるわけでなし、一応社会人としてまともに働いているものの、自分が何か自信確信を持って生活できているか?そんなもんはない。
三日坊主どころか三秒坊主、自分との約束ほど簡単にぶち破れるものは他になく、そんな自分にうんざりして、ビジネス書やなんかを読んで何かを学んだふりをして、結局また何も変わらずに年月が過ぎていく。
どうしてこうなってしまったのか。環境が悪いのか、世間が悪いのか、政治が悪いのか、俺たちレベルのクズだと、そうやって他人に責任を押し付けることさえしない。
なぜならそれがダサい大人のやることだと理解しているから。
自分はクズだと恥じながら、根っこの部分ではまだ自分はまともだと、善人だと、世の中を騒がしている犯罪者や、ツイッターやらで恥ずかしい写真をアップして自爆していく若者たちに比べたらまともな精神構造をしていると、下を見てほっとして、
俺はクズだけど、何がクズかはわかっているんだよ。そんなにバカじゃないんだよ。
でもクズなことを恥じて苦しんでいるんだよ。こんな俺、かわいそうでしょ?尊いでしょ?誰かクズな俺の本当の純粋な部分に気づいて優しくして!
・・・。
こ の ク ズ が ! !
そうなんですよ、俺は、俺達は、本当は自分のことをクズだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。いつまでも自分の本質から目を背けて生きている。
本でかじってきた心理学やなんかから、自己受容だなんだと心地より言葉を探してきては、クズささえも自分を着飾るアイテムとして使い倒して酔っ払っている。
受け入れているふり、考えているふり、正しいふり、
なぜ自分はこうなのか、英語が喋れないから情報が限定されているのか?健全な肉体がないから筋トレすればいいのか?マザーテレサ曰く思考の問題?言霊?引き寄せの法則?いやいや脳科学だ、もしかしてメンタルの病気なのかしら。前世からの因果が?ハイヤーセルフが?そんなことを言ってる暇があったら資格でも取ろう。資格さえあればMBAさえあれば!金さえあれば!親友さえいれば!恋人さえいれば!目標!夢!願望!希望!
こ っ っ の っ っ っ クズ がああああああ !!!!!!
いや、もうね、あきらめよう。俺たちはこうなんだよ。ずっとこうだったの。これからもこうなの。
何を真剣に悩んだふりしても、恥じたふりしても、傷ついたふりしても、結局こうなの。自分の都合の良いようにしか考えられない生き物なの。
自分の敵は自分だなんて漫画や歌で聞く言葉だけども、俺たちの場合はまさにそれであるのに加えて、自分の最大の守護天使が自分なの。こいつが俺たちを本当の絶望から守ってくれてるの、本当の傷を負わないようにしてくれてるの。
こいつがいる限り、抜け出せないのここからは。そしてこいつは自分自身だから消えてくれないの。ずっと。付き合っていくしか無いの。
もうこの強すぎる自己防衛システムのせいで、クズなことは変えられない。じゃあもうそこはいいです。その結果について考えよう。クズな結果について。
ここまで来てしまったらね、たぶんどっちか2つしかないんだと思います。
可哀想なアタシに酔いつぶれて死ぬか、クズさを認めてその場その場を最大限楽しんでいくか。
言い換えるならば前者は、俺は本気出してねえから悔しさも惨めさも感じてませ~~~んルート。後者は、オイオイ次はナニで俺を楽しませてくれんだよこの世界はよォ~~!!ルート。
すまん、まったく言い換える必要なかったわ。まぁとにかくクズにも種類があるっていう話なんです。どっちを選ぶかは美学の問題でしょうか。
タイトルに書いた通り、俺は後者で生きたいと思っております。
いや結局同じなんだけどね。どっち選んだって。同じなんだけどもなんとなく後者のほうが「まだマシ」のような気がしている。自分を諦めることで逆に認めれるような気がしている。
本当は何も真剣に考えていないのに、真剣に考えているごっこをするのは人間として醜悪ではないだろうか。だったらせめて俺は何も考えてませんと正直に言ってしまったほうがまだ美しくないだろうか。
まーたここでも判断基準が「自分がどう見えるか」なのがクズなのだが。
せめてカラッとしていたいのです。お日様のように。(何言ってんだ?)
だんだん発言が怪しい人になってきたのでまとめます。
俺はクズもバカも受け入れて爆笑して生きていきたい!!
クズだから「生きていく!」なんて断言はしないぜ。
いつでもその場が楽しめるように方向転換して生きていく覚悟はした。
以上。