深夜の雑談

【脱ニヒリズム】生きる意味を見つける為のアプローチ※保険付き

どうも、インターネット雑談マン@netzatsudanmanです。

生きてる意味なんて何もないぜ。人生は死ぬまでの暇つぶしだぜ!なんて割り切って生きれたら幸せだったのに、そうは思えない永遠の中二病の同士諸君、今日も苦しんでますか!僕も苦しい!

人生の探求者の我々ですが、とはいえこの社会や組織で生きる一員でもあり、意味探しに夢中になって日常を疎かにするわけにはいきません。

と、いうわけで今日は生きる意味を見つけるまでのルートを、もし生きる意味が見つからなかった場合に備えた保険付きで考えてみたので、共有させていただきます。

目次

前提:意味探しが本当に必要か?

生きている意味や目的が気になってしかたない僕達ですが、それが本当に必要なのか、大事なことなのかは、よく考えておくべきだと思います。

生きている意味を探すなんて、どう考えても修羅の道。そんなことしてる暇があったら英単語の一つでも覚えたほうが余程人生を豊かにしてくれる。

実は暇なだけじゃないの?

例えば衣食住が安定しない環境で生活しているような人達は、今日を生きていくだけでも精一杯でしょう。生きてる意味なんて考えている余裕はない、今日を生きることが大事。僕達はある程度恵まれているからこんなことを考えてしまっているだけで、実際は今日生きることこそ大事なのかも知れない。

実は何かから目をそらしてるんじゃないの?

仕事、プライベートで問題は山のようにあって、それ全部を直視していたら苦しくてしかたない。そういう人生の課題から目をそらすために、「生きている意味」とかカッコよさげなこと言っているのでは?

わかりやすいことで言えば、会社での出世、貯金、結婚、一般的に幸せと言われることを、「おれにはどうせ無理だ」と思っていて、「そんなもんは価値がないし、それより人生の意味が大事、それが見つからなきゃ全てが無意味だから頑張れない」と誤魔化していないか?

脳とかメンタルが正常じゃないんじゃないの?

生きていれば苦しいことや悲しいことがたくさんある。それらのダメージによって、すでに脳やメンタルがおかしくなっているのかもしれない。

そんな状態で「生きる意味」を探しても症状が悪化するだけ。意味探しよりも病院に行こうそれは。元気になってから探すんだ!

いいや、それでも生きてる意味を見つけなきゃいけないんだ

よし、そこまで言うならやるしかねえよな!

じゃあ、生きる意味を探していきましょう。

でもその前に、保険はかけておこう。

保険①:生きる意味探しを生きる意味にする

生きる意味を見つけるには、膨大な時間が必要でしょう。もしかすると死ぬまで見つからないかもしれないし、死ぬ直前になって見つかるかも知れない。

そんだけ時間を使うことなら、それ自体が生きてる意味と言っても過言ではない。よし、これで生きる意味ゲット。

保険②:仏教的な生き方で心を穏やかにする

どうやら”悟り”という状態が何かすごいらしい。その域に達すれば何かが見つかりそう。でもそんなんガチガチの仏教徒ですら難しいんじゃねーの?

なので”悟り”とは言わずとも、瞑想などの”行”によって、心を穏やかにしよう。心が穏やかというのはとても大事で、心が乱れているときに思いつくことなんざ、どうせすぐに忘れる、その一瞬しか自分を納得させられない。

もし生きる意味が見つからなくても、せめて心穏やかにできれば日常生活には支障がない。発狂して死ぬルートを回避するために、仏教の力を借りよう。

僕なりの生きる意味を見つけるアプローチとは?

僕達の悩みは偉大な先人達が考え尽くしている

「生きるとはなんだ・・・人生とは・・・真理とは・・・」こうやって考えていると、自分が本質を見極めようとしている賢い奴のような気がしてきますが、所詮僕らは生活の合間を使って考え事をしているにすぎない。

しかし!人類の歴史上、「哲学者」と呼ばれる偉大なおじさん達が、人生全部をぶっこんでそういうことばっかり考えまくってきた!

じゃあ、その先輩たちの考えを聞いておかないと時間の無駄。自分なりの理論を組み立てるまえに、哲学を学んでヒントを貰おう!それが最短へのルート!

例えば僕の場合は、

ストレスを消す最強の方法は幸福も手放す超危険な方法だった!

この記事に書いた通り、何もかもが無意味だと感じる、虚無状態になってしまったのだが、これについては、ニーチェ先生が「ニヒリズム」という言葉で定義してくれている。

定義してくれたのはいいけど、「超人になれ」とかワケのわからんことを言って、発狂して死んでしまった!ちょ、悟って幸せな感じになってから人生を終えてくれよ!先生ェ!!

でもきっとニーチェ先生の著作を読み込んでいけば、何かしらのヒントは貰えると思う。申し訳ないけど、同じルートを歩みたくはない。

とにかくこんな風に、さも自分だけが考えついたと思っている境地に、既に先輩たちがたどり着いている、人がたどり着いている場所まで到達するのに悩むのは無駄!さっさとアイディアをもらってしまおう!

まとめ

と、言うわけで、僕なりの生きる意味を探すアプローチは、

「哲学者にヒントをもらいつつ、仏教的な生き方で心穏やかにしておく」です。やはり損切りは大事なので、どこかのタイミングで諦めるのもアリだと思う。そうなったときに、絶望して発狂してしまうのは嫌なので、せめて最低限の生活を送れる体制にしておきたい。

僕の上司も新事業を進めるときに、「とは言っても今日稼がないといかん」とよく言っていました。人生も同じである!

生きる意味を探して死んでいく。それもまたひとつの生き方。中二病の僕からすると、凄くカッコいい生き様だと思う。でも、そのカッコよさを貫けるかどうかは全く別。いままでの経験上、途中で悲しくなって孤独にのたうち回る未来が見え見え。そんなのは嫌だ!

だから僕は、生きている意味を探す+心の安定を並行してやっていこうと思います。今日の記事を読んでくれた人のうち、学生さんに言っておきたいのは、「なんか楽しいこと繰り返してる間に、意味とかどうでもよくなるかもしれんぞ」ということです。

「生きてる意味なんて探すんじゃなかった」と思ってしまったら最悪。生きてる意味が気になる気持ちはよくわかる。わかりすぎる。でもそれで絶望もしたくない。だから並行してやっていこ!

一応、壮大なスケールでの答えはもう出てるんだけど、もうちょっと個人レベルのが欲しいんだよねぇ。

生きている意味や価値に苦しむ人に、僕なりの答えを共有

以上。