深夜の雑談

自分勝手でも自己中でも良いけど、恩知らずにはなれないなという話

どうも、インターネット雑談マン@netzatsudanmanです。

僕は「自分らしく」という言葉が好きです。自分の人生は100%自分のものであって、誰かの都合によって左右されるべきではない。だから自分勝手に生きていたいし、自己中心的に生きていたい。

自分の心の弱さが原因で、長年、他人の都合に合わせて、自分の人生に責任を持たずに生きてきた僕としては強くそう思います。

でも、やっぱりそれだけじゃダメだよなぁと、食中毒による高熱にうなされながら考えてみたので、今回はそれについて記事にしていきます。

人生の中で「救われた事」や「良かった事」は自分の力ではなかった。

今、振り返ってみると、僕は自分の人生の要所要所で、周りの人に助けてもらって生きてるなぁとしみじみ思います。

学生時代に虐められたりしなかったのは、たまたま仲の良かった友人が、人を虐めるような精神性の持ち主ではなかったから、彼らが周りにいたことでそういう人達から標的にされなかったから。

適当に怠けてチャラチャラ生きてこれたのは、父親がしっかり働いて稼いでくれていたから、母親がしっかり家を管理していてくれたから。かなり放任主義な家庭でそんなに両親との思い出もないのですが、やることをしっかりやってくれていたよなと思います。

わりと大人になってからできた友人たちも、僕がギャンブルに狂っていた頃も何かとギャンブルをやめるように誘導してくれたり、心の病気でやられていたときも、変わらず接してくれていたし、今や海外駐在で一年に一度くらいしか会わないというのに、当時と変わらない態度で接してくれるのは本当にありがたいことです。

他にも、僕を助けることに何の得もないのに、助けてくれた人達は大勢いて、なんでかそのことを今の今まで記憶から消してしまっていて、ほんと僕は恩をしらねー野郎だなと少し自己嫌悪もあったのですが、今思い出したから許して(笑)

助けてもらえなかったことを探そうとすれば、それはいくらでも見つけることはできる

もちろん、助けてもらえなかったことなんていくらでもあるんです。いつも自転車に乗っている僕を停止させて職質するくせに、僕がカツアゲされてるときは全然姿が見えない某国家公務員の人達とか。(すいません、いつもおつとめごくろーさまです!大変なのはよくわかってます!)

とことん責任転嫁するなら、ギャンブルはダメだとか、タバコはダメだとか、もっと学校教育で今の1000倍くらい厳しめに教えろよとか、貯金をしろとか英語をやれとかコミュニケーション能力でかなりたくさんのことが左右されるとか、もっと早めにリアルな事例で教えとけとか。

でも、そんなの考えだしたらキリがないし。考えたところで過去は変わらないし。昔のことでごちゃごちゃ言ってるうちに、また現在の時間は消費されていくし、何も良いことがない。どこまで考えても結局自己責任の範疇を越えてくれないし。

他人や環境のせいに100%することができて、それで満足して死んでいけるなら思いっきり人のせいにして笑ってやるんですけど、人生ゲームはうまくできてるもんで、それが許されないんですよね。なんで許されないかって、僕がそれを許してないから。自分で言ってて惨めなことって言い続けられない。

やらしい話ですけど、助けてもらえなかったことに注目するより、助けてもらえたことに感謝することのほうが健全じゃんっていう。

助けてもらったことを忘れられるほど、強い心を持っていない

本当に自分の幸せだけ考えたら、自分の利益のみをとことん追求していったらいいんです。全然悪いことじゃない。誰もそれを責めることなんてできない。

ただ、僕はそれができるほど強い心を持っていないということがわかりました。こういうのを偽善者って言うんですかねぇ。。偽善的だろうがなんだろうが、受けた恩を無かったことにするってのはかなりストレスを感じます。恩を受けたら必ず返すとまではいかなくても、せめて感謝の気持ちを忘れずに、助けてくれた人へのリスペクトは無くさずにいたい。

僕は近年「自分らしく」という言葉を大切にしたい気持ちが凄く強かったので、こういう気持ちをゼロにしちゃっていたなと反省しています。なんで反省するのかって、それを無理矢理ゼロにしていたことこそ、「自分らしく」ではなかったから。やっぱり自分に合わないことを無理にやったらダメみたいですね。

「自分らしく」他人のことも考える方針にシフトする

僕はずっと自分らしく生きてこなかったので、自分らしくとか、自分勝手とか、自己中心的という言葉を履き違えていたように思います。

僕だけが得することをすることだけをやるのが、僕にとっての自分らしさや自分勝手ではなかったみたいです。無理矢理自分だけのことを考えていても、他人のことが心残りになってストレスを感じているようじゃ、全然自分らしくじゃない。

「他人の都合で生きない」これは僕の中の変わらないテーマです。今はまだ100%そうはできなくても、いずれは必ずそうするのが現在の目標です。

でも、「他人の都合で生きない」というのが、「他人のことを考えずに生きる」ではないことにようやく気づきました。

いや、待てよ。これって究極の自己中じゃね?

ここまで書いてて思ったのですが、これが究極の自己中心的かもしれない。だって、他人を使ってでも自分の気持ちいいようにしようとしてるんだから。

うわぁ。こう書くとすごい嫌なヤツみたい。みたいじゃなくて、実際そうなのかもな・・・。まぁ、それが気持ちいいならいいですね。(いいのか・・・?)

とにかく僕はもう、自分が無理したくないことでは無理したくないし、僕の心が恩を忘れず生きていけというなら、それが僕にとっての自分らしさなんでしょう。そのうち考え方も変わるかも知れませんが、今はそうなんだからしかたない。

かと言って僕は人助けだけで暮らしていけるほどお人好しじゃない、善人じゃない。そのへんはバランスかなと思ってます。

今後、どう生きていこうか

最終目標は、すごくネガティブな言い方になっちゃいますが、「スッキリ死にたい」んです。何も心残りがない状態で。もちろん明日明後日とか死にたくないんで、最速40年後くらいにしてほしいんですが。

そのためには、恩を返さないままじゃ終われないので、自分が覚えている範囲で今まで世話になった人達に少しづつ恩を返しつつ、もう会えない人も大勢いると思うので、その分は他の人を助けることで帳尻合わせていこうと思います。

見て見ぬふりをしたときの後悔って最悪なんだよな・・・。じゃあもう、僕の見えないところで困っててよっていう最悪な思考に変わってしまうから。

おっと、また人間失格っぽいところを見せてしまいそうなので、本日はここまでにします。

以上。