深夜の雑談

幸せの正体が脳内物質だと知った時、少し切なくなった。

どうも、インターネット雑談マン@netzatsudanmanです。

「幸せってなんだろう?」って考えた時に、愛とか、お金とか、成長とか、いろいろなことが思い浮かぶと思います。

でも幸せかどうかを感じるのは、脳内物質というものが関係しているらしいのです。今回はそれについて記事にしてみます。

幸福感を得られる脳内物質とは?

  1. エンドルフィン
  2. セロトニン
  3. ドーパミン
  4. オキシトシン

上記、それぞれ、悲しい気分を無くしたり、心を落ち着かせたり、幸せを感じるための物質らしいです。

※詳細は「物質名 効果」「物質名 出し方」とかでググってみてね。

当たり前だけど幸福も化学反応なんだな

幸福を感じるために必要なことは、どんな体験をしたかではなく、どんな脳内物質が分泌されているかだという話になってしまう。

これは何だか切ないなって思います。どんな体験かは関係ない・・・だと、言い過ぎだけど、結局脳内物質を分泌されるための手段でしかなくて、これって凄くコンピューターだなと。

コンピューターどころか、「黒ひげ危機一発」程度のものなのかもしれません。「ここを刺したから黒ひげが飛び出た」。幸せもその程度のもの。「この物質が分泌されから幸せ」

時代が進めばボタン1つで幸せになれる

物質の量で幸福感が決まってしまうなら、いずれ科学が発達してボタン1つで幸せになれるかもしれませんね。

脳内物質で幸福になれるという裏技は、きっと人間を幸せにしてくれる・・・というか、絶対に幸せになるはずです。そういう仕組なんだから。

なんだかなぁ。俺が普通に生活してて、幸せになれるかどうかなんて未知数だし、幸せになれる裏技が発見されたなら、それはそれで嬉しいけれど、なぜか切ない。

幸せってのはそんなもんなのか。幸せとはもっと尊いものではないのか。いや、脳内物質を分泌するという仕組み自体が、奇跡のように尊いものなのか?

ロマン感じねえ・・・。

脳内物質の出し方(体験)にこだわるべきか?

ボタン1つで幸せになれるようになっても、それを良しとしない層は現れそうですよね。俺がその状況になったら、迷うけど押しちゃうかな。

なんというか、幸せとは幸せであってほしかった。愛は愛であってほしかった。優しさは優しさであってほしかった。「物質がどうのこうの」とかじゃなくてさぁ。

難しいですね。良いんですけどね、それで幸せになれるのなら。でもなぜか途端にゲーム感が出てきたというか。尊さが失われたというか。考え過ぎなのかなぁ。

逆に考えるとネガティブも化学反応

悲しいとか、苦しいとか、切ないとか、そんなんも、結局脳内物質の反応なんですよね。

だとすれば僕達は、悲しいから悲しいのではなくて、食事などの生活習慣によって、脳内物質の分泌量が変わってしまって、それでネガティブになってしまうのかもしれない。

それは本当に最悪ですね。意味のない悲しみ。意味のない苦しみ。たしかにそうなるくらいなら、ホタン1つで幸福にしてくれたほうがいい。

僕としては何が本当なのかよりも、幸せになれるなら幸せなほうがいいかなと思います。例えその幸せがボタンで機械的に感じた幸せだとしても。

こうやって、人間の自然な感情、自由な意思というのは、時代とともに消えていってしまうんですかね。でもそれで悲しみがなくなるなら、幸せなのかな。

あ、今僕が切ないのも、脳内物質で切なくなるやつが分泌されたからか。なんだかなぁ。

おわり

まぁ、当たり前の話なんですよね。人間の肉体は物質の塊なんだから。せっかくお医者さん達が脳内物質なんてものを解明してくれたんだから、人生ゲームの攻略法として有効活用しなければいけないですなぁ。

これをやったら楽しい、こんなことになったら悲しい。経験による肉体の反応が、幸か不幸かを決める。そりゃそうだよな。なんで自分がこんなにこの件に引っかかっているのか、自分でもよくわからないです(笑)・・・全部物質のせいだ!

どうやら瞑想をすることで、幸福方向の物質が分泌されるようなので、ネガティブになったらすぐ瞑想して、無駄な時間を使わないようにしたいと思います。

こうなってくると、自我とか思考なんてものが、急にボンヤリしたものに思えてきたな・・・。

俺は、いや、人間は、反応によって踊っているだけの人形なのかもしれない。

信じるか信じないかは、アナタ次第!

以上。